「モモ」を再読したらぶっ飛んだ

191005

こんにちは、エリティです(・∀・)

モモ。言わずと知れたミヒャエル・エンデの名作中の名作です。

副題には「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」という文言がついています。

初めて読んだのは小学生の頃でした。その時は「世の中が今後どんどん便利になっていくけど、心の余裕を忘れないようにしよう」

というような、なんとまあ実感のない、けど子供なりにキュッと思うところがあったように記憶してます。

その時は「世の中の大きな流れと自分」という、少し距離のある解釈をしていました、多分。

社会人も板について、コーチングやマインドフルネスの練習を日常に取り入れるようになった今、ふと「モモ」を読み返してみたらどういう感想が出るか…。

ちょっと読んでみました。

これは、別の話ですか?

なぜなら、登場人物が自分の中や身近にいることに気づいたからです。

昔感じた「世の中の大きな流れ」との距離は一体どこへ。近すぎて若干の恐怖を覚えるくらいでした。

登場人物で思うこと

時間どろぼうの灰色の男たち。

彼らの声は、過剰なサボタージュの声に聞こえて仕方なかったです。

信念や情熱、心の声をかき消してしまう。自分本位でないところで時間を殺しています。

灰色の男たちに目をつけられたベッポじいさん(思慮深くて丁寧に仕事をするタイプ)は、本当の気持ちを周囲に伝えると「頭おかしい人」扱いされて苦しみ、色々と諦めた結果、ブラックな掃除業者に就職させられます。

おなじく観光ガイドのジジ(夢見る、夢を与える自由な観光案内人)は、「お金が入るし名声も手に入る」のと引き換えに、やりたくない仕事を秒刻みのスケジュールでこなし、文字通り忙殺されます。

灰色の男たちにかかったものはみな、「今の状態が安定してるし、便利だし、自分本位ではないけどしょうがないよね。考えるのは面倒だしここから抜けるのは大変だし」。と、気づいたらこういう思考になっているのです…。

モモは、いわずと自分自身です。

マイスター・ホラの促しで見た、時間のみなもと…そこで見た美しい情景は、「本来の自分の感情、意図、情熱…」です。

<どこにもない家>で、「時間のみなもと」を見ているモモやその後のモモは、まさにコーチングを受けている時やコーチング後のチャレンジをしている時の自分だったのです!

マイスター・ホラはコーチであり、マインドフルネスの権化と言えましょう。

そして時間の花や心の情景は、一人で持ってても意味がなくて、分かち合えないと(行動しないと)意味をなさないのです。

カシオペイアは、私にとってはリスク回避という強みを活かせるという能力のように感じました。

コーチングのあと、日常でチャレンジをしている時に心の中にいる気がします。

この能力のおかげで、着実に、安心して「一歩前に」進めているのだと思います。

エリティ、モモになる!

私がコーチングを受けていて、本来の自分の感情や信念に気づき、またそれを知らないうちに見て見ぬ振りしていたことに気づいた時は凹みました。

そして、知ってしまったからこそ、苦しく思うこともありました。

まさに、灰色の男たちにじわじわと蓋をされて、それが普通と思い、知らず知らずのうちに諦めていたことを認めるのが嫌だったのです。

しかし、自分の「時間のみなもと」を見て、絶対に手放したくないと感じました。

気づいたのなら。カシオペイアのリスク回避力と勇気でもって自分を取り戻してやろう!そして、伝えよう。

これが、モモ再読で得た教訓でした。

最後に

お気に入りの文章を載せておきます。

「ときには、(<どこにもない家>での)あの音楽をきかず、あの色を見なければよかったと思うことさえありました。それでも、もしこの記憶を消し去ってしまおうと言われたら、どんな代償をもらおうと、やはりいやだとこたえたことでしょう。たとえその記憶の重みにおしひしがれて、死ななければならないとしてもです。(中略)もしほかの人々とわかちあえるものでなければ、それを持っているがために破滅してしまうような、そういう富があるということだったからです」

それでは、ここらで(・∀・)

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